コシヒカリ誕生の地で生まれた
名匠たちの自信作「金匠」
水稲の作付面積、収穫量が全国1位の“米どころ”として知られる新潟県。第二次世界大戦の敗戦ムードが色濃く残る昭和19(1944)年に長岡でコシヒカリは誕生しました。その後、福井県農事試験場で育成され、新潟県に里帰り。その名が付けられ、日本一の米とまで言われるようになりました。
コシヒカリ生誕の地・長岡では、長岡米の一層のレベルアップを目指し、毎年秋に「長岡うまい米コンテスト」を開催しています。長年米づくりに取り組んできた熟練生産者が一堂に会し、穀粒判別や食味計測、官能審査などを経て頂点を競い合うものです。
コンテスト上位20点に選ばれた生産者には「金匠」の称号が与えられ、翌年に「長岡コシヒカリ金匠」として新米が販売されます。
コシヒカリ誕生秘話を現代につなぐ、米づくりの名匠たちが魂を込めて作ったコシヒカリです。
震災復興を遂げ
山古志初の最優秀賞受賞
山あいの斜面に美しい棚田が広がる、自然豊かな長岡市山古志地域。
のどかなこの地で、ひたむきに米づくりに臨む生産者がいます。小川六一さん72歳。先祖代々続く米農家を継ぎ、小川さんで6代目とのこと。コシヒカリのほか、はざかけ米「トトガミ(父上)米」、もち米「こがねもち」、酒造好適米「五百万石」も手がけています。「コイン精米は味が落ちる」と、昔ながらの精米機で1時間かけて精米。お米への深い愛情が随所に感じられます。
「米も酒も熟成した方がおいしい。とれたての新米も三カ月は寝かせている。食味のいい米は冷めてもおいしさを損ないません。コシヒカリは甘みが強いのも特徴です。ぜひ食べ比べてみてください」
小川さんにとって人生のターニングポイントとなった平成16(2004)年。静岡県で行われた米コンテストに参加し、自慢のコシヒカリを出品。審査結果を待ちわびていたそのとき、大きな揺れに襲われました。中越地震によって日常生活はもちろん、大切な米づくりさえも奪われてしまった小川さん。避難先でコンテスト優勝の連絡を受け、後日、避難所のみんなと賞品としてもらったみかんを分け合ったそうです。
被害の大きかった山古志地域は全村避難を強いられ、自宅にさえ帰れない日が続きました。それでも、およそ3年かけて復旧作業を進め、平成19(2007)年にようやく米づくりを再開。
平成21(2009)年から始まった「長岡うまい米コンテスト」では、2年連続で金賞を受賞しています。そして2019年、山古志地域としては初となる最優秀賞を受賞しました。
お隣・魚沼に負けない
いい米を作り続ける
避難生活を経験し、人と人との助け合いにありがたみを実感したと話す小川さん。震災以降、全国から応援を込めたお米の注文や、山古志地域の暮らしを学生たちが体験するグリーンツーリズムの相談が舞い込みました。「たくさんの人に支えられ、今、米づくりができています」。
山古志地域の周辺は生活用水が入らず、汚染水は一切ないエリア。大自然が生み出す清冽な水が良質な米づくりにつながっていると小川さんは言います。さらに、日本トップクラスの米産地として知られる魚沼市がすぐ隣。魚沼市とほぼ同じ自然環境で育った山古志の米は「ブランド力では負けてしまうものの、おいしさは大差なし。県内外にリピーターがいるほどです」と小川さん。
コシヒカリ発祥の地で躍動する米農家さんたちがつくる「長岡産コシヒカリ金匠」。ぜひ、味わってみてください。
お話を聞いた方
長岡産コシヒカリ「金匠」生産者(生産地域:山古志) 小川 六一さん